玄善允の在日二世物語ー在日、大阪、済州そして・・・ー

済州出身の両親の次男として大阪で生まれ育った在日二世の呟き

2025-01-01から1年間の記事一覧

僕のスーパーヒーローだったK君(1)(再改訂版)

僕のスーパーヒーローだったK君(1)(再改訂版) お詫び:アップした翌日に、大きなミスをしたことに気付いて、急遽、改訂しました。申し訳ありません。第1章はあまり変わっていませんが、第2章は大幅に修正を加えました。 1.出会いと別れ 僕は生来、わ…

KBSのラジオ番組「チグㇺ・イ・サラㇺ(今、この人)」2

KBSのラジオ番組「チグㇺ・イ・サラㇺ(今、この人)」2 1.久しぶりの「チグㇺ・イ・サラㇺ(今、この人)」 以前にも何度かこのブログで紹介したことがある韓国のKBSのラジオ放送のインタビュー番組の、つい最近になって僕の興味を強く引いたゲストを紹…

底意地の悪い虐めの加害者

底意地の悪い虐めの加害者 僕は時折、自分はつくづく善良な人間と思うことがある。それだけの話であれば、必ず失笑を買うだろう。しかし、それには続きがある。そんな能天気になった僕の脳裏にいきなり姿を現して、厳しい目つきで冷や水をかける存在が、少な…

一過性全健忘2

一過性全健忘2 4.研究会 僕は40歳前後で仏文研究を断念・放棄した。つまり研究者志望者から自覚的に落ちこぼれた。そして、その代償として、「ものを書く」ことを志した。研究などを捨てた代わりに、自ら買って出た馬鹿げたほどにハードな仕事によって、…

人を亡くすこと、そして弔うことの2

人を亡くすこと、そして弔うことの2 6.大学入学直後の出会いとその後 大学入学直後に在日の学生サークルで出会って以来、学生時代ばかりか卒業後も、異業種交流を口実に、頻繁に酒を交わし愚痴を垂れ流しあうことで、それぞれに固有の困難を凌いでいた。 …

「塚崎昌之さんの資料に導かれて在阪朝鮮人の歴史を歩く」(仮称)千里山一帯の2

「塚崎昌之さんの資料に導かれて在阪朝鮮人の歴史を歩く」(仮称)千里山一帯の2 2025年度第2回―高級住宅地開発と朝鮮人―理想的田園都市・(大阪府吹田市)千里山― 極私的感慨1 以下はFWの報告からずいぶんと逸れるが、無関係とまでは言えず、このFWがあ…

「塚崎昌之さんの資料に導かれて在阪朝鮮人の歴史を歩く」(仮称)千里山一帯の1

「塚崎昌之さんの資料に導かれて在阪朝鮮人の歴史を歩く」(仮称)千里山一帯の1 2025年度第2回―高級住宅地開発と朝鮮人―理想的田園都市・(大阪府吹田市)千里山― 1.はじめにーFWの案内文― 今回は、標題FWの世話役の一人である僕・玄善允の、普段に増し…

一過性全健忘の1

一過性全健忘の1 1.75歳の誕生日を控えての一時的記憶喪失 先日、それまでには一度も会ったことがないのに、ひょんな縁で数か月間前からメールを頻繁に交わし合うようになったLさんと、東京での初対面が叶った。 僕が少し話をする予定のイベントにLさんも…

コンナムルがきっかけの連想ゲームー韓国の三大日常食と在日二世―の4

コンナムルがきっかけの連想ゲームー韓国の三大日常食と在日二世―の4 8.舌の根が乾かないうちの「シリーズ再開」の口上 前回の最後に、「このシリーズを終える」と書いた途端に、後ろめたくなった。そしてそのうちに、「立つ鳥、跡をのこさず」を気取って…

人を亡くすこと、そして弔うこと1回目

カテゴリー:触れあった人々 人を亡くすこと、そして弔うこと 目次 一回目 1.死と弔いと僕の距離 2.儀式嫌いー集団的熱狂に対する距離感 3.厳しかったこの夏―僕の人生最後の書物― 4.人生最後の本の完成まで 二回目 5.大学入学直後の出会いとその後…

コンナムルがきっかけの連想ゲームー韓国の三大日常食と在日二世―の3

コンナムルがきっかけの連想ゲームー韓国の三大日常食と在日二世―の3 6.スープの色による分類 韓国料理の神髄はスープにあるからと、「スープの国」という人気のテレビ番組まであるほどだが、そのスープにも僕が気にかかっている範囲でも、誰が見てもすぐ…

コンナムルがきっかけの連想ゲームー韓国の三大日常食と在日二世―の2

カテゴリー:老後の日常と多様な関心 コンナムルがきっかけの連想ゲームー韓国の三大日常食と在日二世―の2 4.コサリ 他方の乾燥コサリの方は、済州島産のコサリが大きな段ボール破箱いっぱいに、干しアマダイと乾燥ワカメなどと一緒に、毎年、我が家に舞…

コンナムルがきっかけの連想ゲームー韓国の三大日常食と在日二世―の1

カテゴリー:老後の日常と多様な関心 コンナムルがきっかけの連想ゲームー韓国の三大日常食と在日二世―の1 (注1)「ナムル」とは山菜も含めた野菜の総称であると同時に、その生のままの、もしくは茹でたうえで、ごま油、醤油、ニンニクその他で和えたもの…

老化と日本疲れの果てに出会った束の間のオアシスー『在日同胞』と『近代済州における日本人居留民の研究』というハングル版の研究書-

3年前に求められて、ある会のニュースレターに投稿した拙文を以下に転載する。すっかりスランプに陥って、草稿5篇がとん挫したまま、完成するエネルギーがどこにもなさそうなのである。 書き始めるとすぐに疲労感、とりわけ眼精疲労がひどい。今月下旬に刊行…

折々のメモ 38の7、(おまけの3)復活を目指すはずが・・・の7(おまけの3)

折々のメモ 38の7、(おまけの3)復活を目指すはずが・・・の7(おまけの3) 16.イベントの翌日以降―イベントに関する反響を受けてー 起きるとすぐに、ホテル近くのコンビニでジュースとサンドイッチを買って部屋に戻ったところ、ラインに金稔万さんか…

折々のメモ 38の6(おまけの2) 復活を目指すはずが・・・の6(おまけの2)

折々のメモ 38の6(おまけの2) 復活を目指すはずが・・・の6(おまけの2) 【前置き】 10月1日から、前のブログのサービス会社が新規の記事の掲載をしなくなったので、僕もあわてて引っ越しをしたが、その際の読者への引っ越し先の情報を間違ってお教…

折々のメモ 38の5(おまけ) 復活を目指すはずが・・・の5(おまけ)

折々のメモ 38の5(おまけ) 復活を目指すはずが・・・の5(おまけ) 10.釈明を兼ねての前口上 前回(38の4)の末尾で、この「復活を目指す・・・」シリーズを終えると宣言しました。2025年10月5日のことです。ところが、その直後から、何としても書き…

塚崎さんと僕との20年

既にこのブログで13回も記事をアップした故塚崎昌之氏に関して、話す機会がありました。彼が長年をかけて収集した膨大な資料を特別展示してくれることになった東京麻布の在日韓人歴史資料館での、展示記念イベントでのことです。 そこに参加された聴講者の皆…

折々のメモ 38の4、 復活を目指すはずが・・・の4

折々のメモ 38の4 復活を目指すはずが・・・の4 10.今回の僕の苦境の要因としての、生きる構えの弱さと受動性 数十年前の10年を越える苦闘のことを思うと、今回の苦労など比較になりません。そんなことは、初めから分かり切ったことでした。それなのに…

尹龍澤「済州学の創始者、石宙明」

カテゴリー:済州一般 尹龍澤「済州学の創始者、石宙明」国立済州博物館 光復80周年記念 石宙明特別展 図録『済州でナビレラ(蝶が舞う)』、2025年7月3日、118頁~121頁 今回は先般にも触れたように、済州への研究調査の出張から戻った知人からお土産として…

済州学の先駆者・石宙明の年譜(試訳)

カテゴリー;済州一般 石宙明年譜 国立済州博物館 光復80周年記念 石宙明特別展 図録『済州でナビレラ(蝶が舞う)』、2025年7月3日、129頁~131頁 1908年 0歳 平壌のイムンリにて出生(10月17日) 1914年 6歳 書堂で漢文を学ぶ 1917年 9歳 平壌鐘路公立普通…

折々のメモ38の3 復活を目指すはずが・・・の3

折々のメモ38の3 復活を目指すはずが・・・の3 先ずは、重要なお知らせです。前回の「38の番外篇」の繰り返しになりますが、このブログを10月から以下に移籍します。 実は既にそちらの移籍先でも、これと同じ内容の記事を掲載していますので、9月一杯はど…

折々のメモ38の番外篇 復活を目指すはずが・・・の番外篇

以下は引っ越し前のブログの読者宛に、引っ越しのお知らせも兼ねて書いたものなので、このブログの読者にとって、特に1は無関係なものですが、そのままにしてあります。どうかご寛恕のほどを。 折々のメモ38の番外篇 復活を目指すはずが・・・の番外篇 今回…

折々のメモ38の2 復活を目指すはずが・・・の2

折々のメモ38の2 復活を目指すはずが・・・の2 3.その間に僕がしていたことー書き物― ブログアップをご無沙汰している間に僕はいったい何をしていたのか、それを書き物関連とその他の二つに大別して書いてみる。先ずは、書き物である。 上で記したように…

折々のメモ38の1、「復活を目指すはずが」の1

折々のメモ38の1 復活を目指すはずが・・・の1 1.ご無沙汰の挨拶 僕のブログの履歴を見ると、8月18日に「触れ合った人々」というカテゴリーの、「塚崎昌之さんとの20年―在日二世と日本人との交友のひとつの形(略称:塚崎さんシリーズ)の9,10、11,12…

塚崎昌之さんとの20年-在日二世と日本人の交友のひとつの形-の13

塚崎昌之さんとの20年-在日二世と日本人の交友のひとつの形-の13 43.ようやく気づいた大失態ー男たちの「ええ格好しい」の「ボス交」的処理に対する女性たちの批判を受けてー 実は、その後もしばらくは、僕はS研究会に中途半端な気持ちで参加していた。…

「塚崎昌之さんとの20年-在日二世と日本人の交友のひとつの形-の12

「塚崎昌之さんとの20年-在日二世と日本人の交友のひとつの形-の12 41.「暗黙の禁忌コード」の運用-僕の研究発表と投稿に対する研究誌の責任者たちの対応と、それに対する僕の対応 以下では、先の引用でも繰り返された「暗黙の禁忌コード」の、具体的運…

「塚崎昌之さんとの20年-在日二世と日本人の交友のひとつの形-の11」

「塚崎昌之さんとの20年-在日二世と日本人の交友のひとつの形-の11」 40.S研究会による「僕の跳ね飛ばし」と僕の揺れの1―「暗黙の禁忌コード」に関する拙著からの引用― 次いでは、S研究会から僕が「跳ね飛ばされた」経緯について述べるが、その「跳ね飛…

塚崎昌之さんとの20年-在日二世と日本人の交友のひとつの形-の10

塚崎昌之さんとの20年-在日二世と日本人の交友のひとつの形-の10 38.二つの研究会の性格の異同と僕との関係(2) C研究会はアカデミックな学術研究団体である。その組織運営も一般の学術研究団体とあまり変わらないだろう。会員組織となっており、会費を…

塚崎昌之さんとの20年-在日二世と日本人の交友のひとつの形-の9

塚崎昌之さんとの20年-在日二世と日本人の交友のひとつの形-の935.最晩年の塚崎さんを苦しめた僕-関係の不幸― 前回8の末尾で、僕は概ね次のようなことを書いた。 塚崎さんの結果的には晩年となった頃に、塚崎さんに大きな心理的負担をかけていた者がい…